ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

10月9日号ジュビロ磐田

週刊サッカーマガジン2002.10.9 No.891、75ページ、ジュビロ磐田の「担当編集者ノートの隅っこ」より。

「不思議の勝ちあれど、不思議の負けなし」と言ったのは、元ヤクルト監督の野村克也氏だが、それは現場に携わる者の覚悟だろう。やはり、不運を笑う「死神」はいる。オフト…いやいや、取材した試合は早くも負け越し。何を隠そう、死神はこの私?」(北條)

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」が野村氏が引用した言葉だったと思う。念のためにグーグルで検索したら143件ヒットした。
http://www.mug.gr.jp/mwmguide/column/odajima/009.html
によると、出所は松浦静山という肥前平戸の心形刀流剣術の達人だった殿様の言葉が原典だそうな。それにしても、引用の仕方のいい加減さといい、ヤクルトの監督の後、阪神の監督を昨年まで務めていた野村さんを「元ヤクルト監督」と紹介するあたり、サッカー誌らしいと言っていいのかどうかそれとも単なる怠慢か。あるいは日本一になったヤクルトの時代の、という限定でもつけたかったのか。
「不運を笑う『死神』」という表現もよくわからない。死神は不運を笑ったりするのかな。死神なら死を招くのだろうし、不運を招くのなら、貧乏神程度じゃないのだろうか。勝負事に携わる人が験を担ぐのはわかるけれど、なんだか、中途半端な表現。結局、自分が取材した試合が負けの方が多いことをぼやきたかったということなのかな。