「城壁の前での大いなる弾劾」タンクレート・ドルスト作 宮下啓三訳
いろいろ戯曲を読んでみると、どうも格好いい男、というのはあんまり出てこない。
男をかっこうよく描こうとすると、運命に殉じて死ぬ、とか、目的に向かって突き進むとか、何か社会的な価値を描かないとうまくいかない感じがする。ということは、その社会的な価値というものが陳腐化すると、もう格好よくなくなってしまう。
ところが、女性というのは、本音をさらけ出す姿が何とも輝いていて格好いい。
この作品でも、主人公の女は兵隊にとられた夫を返してくれるように皇帝に訴えにやって来る。
社会的正義だとか、そんなことが理由じゃない。
兵士シュエ・リイの妻のあたしは、来る夜も来る夜もひとりぼっち!おしゃべり相手は壁と風だけ!
女はそう叫ぶ。独り寝がさびしいから、皇帝にかけあおうなんて、男だったらええかっこうしいで、できっこない。
それが出来てしまう。そしてそうした個人的な理由の方が、結局普遍性を持っている。
女が、なんとか「夫」というものを取り戻そうと、夫ではない男と演じる劇中劇は、その必死さが表われていてかわいらしくさえ感じる。
それに対して、描かれる男たちの醜悪なこと。特に軍隊から逃げ出そうと女の夫を演じようとした兵士のなんともちゃちいこと。そして結局は男は平穏な日常を演じることが出来ずに、また番所の兵士に戻っていってしまう。