ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

忘れられた日本人

リンククラブの今月号に
忘れられた日本人」(宮本常一著・岩波文庫)が紹介されていた。

学校の図書館で借りて読んでみる。おもしろい。一気に読んでしまった。

民俗学者の著者が各地の古老の話を聞いてまとめたもの。

最初の「対馬にて」で村の寄り合いの話が出てくる。様々な問題を話し合うため、寄り合いが行われるのだが、三日三晩にも及ぶのだという。

私にはこの寄りあいの情景が眼の底にしみついた。この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合わせ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはり今と同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花が咲くというのはこういう事なのであろう。

中略

そういうところではたとえ話、すなわち自分たちのあるいて来、体験したことに事よせて話すのが、他人にも理解してもらいやすかったし、話す方もはなしやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日顔をつきあわせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。と同時に寄りあいというものに権威のあったことがよくわかる。

村を学校に置き換えて考えてみる。特にうちの学校のように教師が務めたら何十年も同じ、という職場では、こうした方法も時には有効かもしれない。特に大きく体制を変えるような事柄を話し合うような時には、時間を区切って言いたい者だけが言い放つのではなく、すべての参加者がそのことについて十分考えるような機会を持つことは大切だと思う。

ただ、長期の休みでもなければ不可能な方法ではあるが。

ただ、こうした方法を紹介した上で、「村里の生活を秩序あらしめ結束をかたくするために役だったが、同時に村の前進にはいくつかの障碍を与えていた。」とも書いている。


性風俗に関する記述もおもしろい。

たとえば、「世間師」という近世において、村から出て方々を旅して回った人の話がある。その中で明治元年の五箇条のご誓文を、文盲の村人たちが誤読した話が出てくる。

「各(おのおの)その志をとげ、人心をして倦まざらしめん事を要す」というのを「生まざらしめん」と勘違いして、「いつでも誰とでもねてよい」と勘違いし、以下のようになったという。

ところが明治元年には、それがいつでも誰とでもねてよいというので、昼間でも家の中でも山の中でもすきな女とねることがはやった。それまで、結婚していない男女なら、よばいにいくことはあったが、亭主のある女とねることがはなかった。そういう制限もなくなった。みなええ世の中じゃといってあそんでいたら、今度はそういうことをしてはならんと、警察がやかましく言うようになった。

もともと年に一度はフリーセックスが許されていた土地柄だったために、こんなことになってしまったようだが、何ともおおらかなことではある。と同時に、文字を知らない世界というのは、噂というものに大きく左右される世界でもあることが示されている。

それにしても、昭和三十年代くらいまで残っていた風習なども紹介されているが、今はもうほとんどそういったものは残っていないのではないだろうか。

そういう世界がすばらしかった、とは思わないが、次のような言葉にはあこがれを感じる。

原文は漢字とカタカナなのだが、読みにくいので漢字とひらがなに変えて示す。

「自然の美に親しみつつ自分の土地を耕しつつ、国民の大切の食料を作ってやる、こんな面白く愉快な仕事が外に何があるか、年が年中降っても照っても野良仕事というけれども、百姓ほど余裕の多い仕事が外に何があるか、一旦苗代に種を播いたら植え付けまでの約二ヶ月は温泉行、御本山参り、さては親戚訪問できうるのは百姓ではないか、植え付けを終わって朝草を刈り牛を飼ったら昼寝をゆっくりできうるのは百姓ではないか、秋収穫を終え、籾を櫃に納め置き炉辺にほたを燃やしつつ藁細工に草履の二三足も作ってその日を送り、また仏寺に参詣して作り自慢を戦わしつつ、ほとんど三ヶ月ののんき暮らしのできるのは百姓でなければ真似のできないことではないか」

毎日毎日朝は七時から夜は8時まで働いている身には、非常にうらやましい生活に見える。