ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

研究会のはしご1

ついうっかりと研究会の予定をダブルブッキングしてしまった。

午前中、のがた「読み」の会で、國學院大學竹内常一先生を講師にお招きして、中学校の説明的文章教材「クマに会ったらどうするか」(玉手英夫)の分析を行う。会員が8人集まったのは久しぶりじゃないだろうか。僕がこのところ一番幽霊会員だったのだけれど。

前回例会で検討して、問題点として指摘するに留まっていた事柄について、竹内先生から「この文章はダイアローグとして書かれている」という観点から、指摘があってまさに「目から鱗のようなものが落ちる」という感じだった。

レポーターの毛利さんはこの文章を「論説文」として読んできたのだけれど、「そもそも仮説って何よ?」というところから疑問が提示された。「仮説」と「仮定」の違い、読み研の言う「論説文」の典型はあるのか、といった話は非常に刺激的で、こりゃもう一度説明的文章の指導の仕方をよく吟味しなきゃな、と考えさせられた。

30代の僕のライフワークはこの説明的文章の指導方法だったのだけれど、まだまだ奥は深い。

みんなの討論を危機ながら、文章の内容を図解していっていたのだけれど、こういう説明的文章を図解で表す方法というのも、今後追求していってみたい。

吟味読みをしていくと、文章を批判的に読む、という立場をとる。

ところが、その立場に固執してしまうと、この文章が持っているような「味わい」を読み落とす危険性が出てくることも感じた。

竹内先生の言葉は含蓄があって、せっせとメモをしてしまった。ランダムに列挙すると…

「相手を憎むと皮肉になり、相手を愛するとユーモアになる。だから校長を語るとき、教師は皮肉を使う。ユーモアで校長を語れるようになると、日本の教師もたいしたものになるのだけどね」

「この文章は読み手を話題の中に招待している」

「説得には三つの観点がある。1つめは論理。2つめは説得される者の感情の心地良さ。3つめは語り手の人格。」

「こうした文章を短時間で教えなくてはいけないときに、語句指導にかこつけて、各段落の重要な言葉をひらがなで黒板に書き出し、漢字に直させる。そうすると、こうした言葉がこの文章では出てきて、大切なんだということが一目で見てわかるようにできる」

「メタファーによる説得という方法がある。」

ちょっと不正確なところがあるかもしれない。それは書き取った僕の責任です。

10時から1時過ぎまであっという間に時間が過ぎてしまった。

教室ディベート研究会が午後からあるため、先生を囲んでの昼食会を断念して、駅へと急いだ。

今日討論したことは、今度の高2の強化合宿の指導でも生かせそうだ。

とにかく、一文一語をゆるがせにしないで読んでいくということの大切さを痛感した。