ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

研究会のはしご2

のがた「読み」の会は阿佐ヶ谷区民センターで行われた。そこから教室ディベート研究会が行われる千駄ヶ谷には総武線で20分。ところが東西線乗り入れの電車に乗ってしまったので、高田馬場で乗り換えて千駄ヶ谷へ。

会場は全郵政会館。第一回の教室ディベート研究会が行われた場所でもある。あの研究会で池田さんのディベートテキストを手に入れたり、1月27日に瑞雲中で行われたディベート大会を参観に行って、終わった後で、拝島で池田さんとしたたか飲んで、盟友の約を結んだんだっけ。そういう意味で思い出深い場所だ。到着すると2時少し前になっていた。1時から始まっていたので、かなり遅刻。

今日の講師はテクニカルライティングの倉島さん。ディベートの考え方を小論文に生かす方法を学ぶことになっていた。

到着したときにはその講義のかなりの部分が終わりになっていた。ちょうど、ある小論文を例として、主張だけで根拠がないところはどこかをみんなが探しているところだった。

受験小論文の参考書として出ているものはすべて役に立たないという話にはびっくりした。

けっこう参考にしてきた樋口裕一さんの本でさえ、倉島さんにかかるとばっさり切り捨てられてしまっていた。

以下、メモ。

記憶したことが評価される。

論理的思考は他者がやることをやることではない。

よそと比べなくては行けないんだなと「記憶」する。

論定的思考力とは、自分の実情に即して、思考する習慣をつけることである。

小論文を読んで、根拠の内部分を指摘させる。

社説を読んで、指摘させる。

短いものでいい。

根拠がほとんどないところはどこか、を毎日行わせる。

思考する習慣を身につけさせる。

パターンを示すことと、型をおしえること。

最初は記憶する必要があるのではないか。

型を身につける。思考する際に型は役に立つのか立たないのか。

役に立たない。香西さん。反論のパターン。当たり前じゃないか。

分類できるということで、それを覚えることが役に立つことではない。

ナンバリングはパターンか。パターン化。思考ではなく伝達技術。

三つ出す。

メタ認知

必要性を認めていないときには記憶になってしまう。

ディベートを小論文に生かす。

上條さん  小学校、大学での指導。

小学生に根拠をトレーニングをするときに、できるだけ根拠を長く書けと指導する。

データがはっきりしてくると根拠がはっきりしてくる。

複数の要素を持ちだしてきた場合に、ナンバリングを教えた。

大学生に半期ディベートを教え、アンケートをとる。 ディベートをやったら根拠がハッキリつけられるようになった。 なぜかというと、負けたから。それで理由をつけることに意識的になった。

提示する手順さえ間違えなければ、徐々に根拠が述べられるようになってくる。

論理的に思考しなくては行けない状況を意図的に作る。フィードバックがある。

書いたからうまくなる、とは限らない。 短期に上げるにはフィードバックが必要。ディベートは勝ち負けというフィードバックがある。 ジャッジからのフィードバックも。

学校教育の菜かでは時間がかかりすぎる。

藤川 小論文の構成について 予想する反論を取り込むのかどうか。 「なるほど」「しかし」

反論を先取りするほうが、視野が広く見える。

大学の小論文は多用なので、一般的なことは言えない。

情報開示、採点基準を明確にしなくてはいけない。採点基準を明示している。 観点別評価のようになっている。

表現力、構成力、知識、意欲、なども論理的思考力のほかにある。

いろいろな採点者がいる。

過去問が大学からのメッセージ。

もしもこういうこと(例として出されていた小論文)をしていたら、就職では落ちる。 できたら、今日教わったような書き方を教えていってほしい。

就職の場合は、意欲が問われる。ロードマップがあるかどうか。

M型になる。再就職ができるという分析もあるのでは。相反する意見を持って曖昧になってしまう場合がある。

悪いなら、なぜ悪いのかを言わないといけない。

「論定的思考力とは、自分の実情に即して、思考する習慣をつけることである。」という言葉が今日は強く印象に残った。

僕の今の実情に即した問題といえば、息子たちの教育だ。考えてみると、あっちの教育書、こっちの教育理論から、記憶してきたことに子どもたちを当てはめようとして、子どもたちの姿から実地に考えることを怠っていたなあとふか〜く反省させられた。

ということで、今日は懇親会にも出ずに、まっすぐに帰宅した訳なのでした。