ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

父の故郷

大道具の搬入で都立東高校へ行った。

帰りは最寄りの駅から帰ることにした。ジャスコを抜けて信号を渡ってしばらく行くと、東西線の南砂駅に出る。

「南砂」。父のふるさとである。

父は生粋の江戸っ子だ。僕は横須賀生まれの横須賀育ちだが、小学生の頃、父の影響で「ひ」と「し」の区別がつかなかった。

足し算の問題で、「ひつじはぜんぶでなんびきいますか」という問いに「七しき」と答えて×をもらったのが、なぜだかわからなくて悩んだことがあった。

父は子どもの頃の面白かった遊びの話をいろいろとしてくれた。

近所の鉄工所から高圧電流を引っ張ってきて、川の魚を感電させて捕ったとか、水に触れると爆発するカーバイトをガラス瓶に詰めて川に投げ込み、爆発のショックで浮かんできた魚を捕ったとか、自転車の後に釣り糸を結んでおいて、釣り堀に釣り針を投げ込み、鯉が食い付いたら自転車で走ってそのまま逃げ、鯉は泥だらけになっちゃったとか、父が育った「砂町」というのは、僕にとっては水辺のワンダーランドのようなイメージだった。

しかし、この年になるまで、一度も父に連れて行ってもらったことがない。

一つには関東大震災後に墓が赤羽に移ってしまったので、法事は赤羽に行ってしまうからということがあった。

そしてもう一つの理由は「駅を降りると町中血まみれに見える」という父の戦争体験が影響していたようだ。

父は東京大空襲の時に、祖母と叔母さんと一緒に逃げたそうだ。しかし、途中で叔母さんは行方不明になってしまったという。命からがら逃げ延びて、トラックに乗せてもらって品川の方へ行ったそうだが、「トラックが焼死体を踏んで通る時の骨のくだける音がした」なんて話をしてくれたこともある。そんなこんなで、自分の子どもを連れて、帰る気にはならなかったのだろう。

はからずも今日、父のふるさとに初めて足を踏み入れることになった。

とはいえ、まったく土地勘のない場所である。

昼時だったので、ふと目に留まった食堂に入ってみた。

マーボなす定食900円なりを注文する。

出てきた定食には、なぜか塩辛とつかりすぎたキュウリのぬか漬けがついていた。

塩辛は祖母がこだわりにこだわって作ったものだった。

つかりすぎたキュウリのぬか漬けは、実は大好物だった。

ということで、塩辛とぬか漬けだけであやうくご飯を平らげてしまいそうになった。

マーボなすは、素朴な味わいだった。中華、というより、お惣菜という感じか。

不思議になつかしい感じがして、うれしかった。

11日に、また南砂まで行く。昼にもう少しあたりをぶらぶらできたらいいのだが。