ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

幸田露伴「実用的文章論」

午後から頭痛がひどくて寝ていたのだけれど、連れ合いがデジカメのデータを吸い出してほしいというので、コンンピュータを起動。ついでにウェブサイトをチェック。
実用的文章は手段であって目的ではない[絵文録ことのは]2004/11/06が目についた。


 実用的文章はたとえば弾丸のようである。弾丸というものは、その弾丸の使われる理由があって、それから用いられるものである。それと同じように、何かその文章の使われる理由があって、それから書かれるものである。

 芸術的文章は、石膏の像や木彫りの置物などのように、そのもの自体が制作される目的として作られるのと同じように、その文章そのものが直接の目的として書かれるのである。

これはわかりやすい。小論文を添削していて、この点が不明確な文章が多いことに気づかされる。
明後日返す小論文で、まだ添削していないものには、この点からのアドバイスを少し入れてみようかな。

ディベートの場合は「審判を説得して自分達に投票させる」という目的がはっきりしている。この「審判」がどのような人かが変わると、文章の内容も多少変わってくる。
ディベート界でも有数の優れた審判か、審判を始めたばかりの人か、ディベートではなく、論題に興味が会って聞きにきた一般の方か・・・。