ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

ジャン・コクトー「声」劇団ルームルーデンス

開場前、並んでいたら、奥本君に声をかけられる。平島さんも来ている。しばらく歓談する。

大隈講堂裏の劇研アトリエというのは、初めて行ったけれど、けっこう奥行きがあって広い。

入場すると、上手そで前にオーボエ。その後にマリンバ。その奥にタイプライターがあり、黒服の男(大根田さん)がキーを叩いている。

下手袖の奥にベッドがしつらえており、袖の中程にクラリネット。その前にビオラ。さらにその前にマイクがあって、棟方ちゃんが背を向けて座っている。

舞台中央前に簡単な木の台があり、電話が乗っている。

入場から、演奏者たちはずっとチューニングをして音を出している。

ベッドの手前にネグリジェ姿の女性が、女木を下にしてこちらに背を向けて横たわっている。

上手奥にはパンツ一枚のスキンヘッドの男性が、こちらに背を向けて気をつけの姿勢で立っている。

二人とも、ぴくりとも動かない。

やがて、何がきっかけだったのかはわからないが、女性が起き上がり、芝居が始まる。

最初のうち、手話と語りの棟方ちゃんのセリフがあっていないのが気になる。棟方ちゃんが手に原稿のような紙を持って読んでいるように見えたので「覚えていないのかな」と心配になる。ひょっとして、混線しているという状況をあらわしていたのだろうか。

演奏している4人の楽譜代から楽譜が落ちる。えっと思ったのだけれど、演出だったみたい。

前半、疲れもあって、ちょっと目を開けているのがきついなあ、と思いつつ、気力で踏ん張る。

後半はスピーディになったし、舞台上に変化が出てきたので引き込まれる。

前で演じている芝居と、後のイムレ・トールマン氏の動きと意識があっち行ったりこっち行ったりする。

ぶらんと左手をぶら下げている時に「うわ、関節が外れそうだ…」と妙な所に関心が行ってしまった。

俳句で「二物衝撃」という技法がある。(ちょうど俳句の授業に入った所)

異なる性質を持つ二つのものをぶつけたら、ときに新鮮な第3の感覚が呼び起こされるということを狙ったものだ。

去年、千賀さんの「鏡」を見に行った時にも、舞踏の方が一人混じっていた。「体で表現する」というのはこういうことなんだ、とびっくりしたんだけれど、千賀さんの目と切り結んでいる感じがした。

で、今回は、イムレ氏の体の表現と、今野さんの手話という異質な表現がぶつかって、さて何が見えてきたのかな、ということなんだが。「二物衝撃だなあ」という所までは思いついたのだけれど、そこから第三の感覚、とまではちょっと飛べなかったかな。

イムレ氏がまっすぐ横向きに立って、顔だけ前を向いている瞬間があったのだけれど、それが何かすごく衝撃的だった。

舞台終盤の方だったんだけれど、何か運命を感じさせるような、ぞくっとする一瞬だった。

終幕後、橋本さんや亀岡さんの懐かしい顔に会えてうれしかった。仕事がたまっていて、残れなかったのが悔やまれる。

帰りの電車の中で「声」を再読した。

手話で表現することで、舞台に動きが生まれてたなあ。「もう一度かかってきますように」という所の必死に十字を切る所、すごく切なさが伝わってきた。

あ、それから帰ってきてパンフレット読みました。

「リアリズム」劇だったんですね。いやー、気がつきませんで…。