ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

納豆たまごエバンジェリストの失敗

納豆の食べ方。昔「美味しんぼ」で、納豆はまずかき混ぜてからからしを混ぜ、その上で醤油(だし汁)を加える、という方法が紹介されていた。へーっと感心して真似していた。

そんなことを知る前、大学の三年生の頃だ。私の実家での納豆の食べ方を友人に紹介しようとしたことがあった。その友人は、「納豆にたまごを混ぜたことがない」という男だったのである。

 その頃僕は大学三年生で、世界は善意に満ちていると信じていた。横浜の日吉で仲間と共同生活をしていた。かつて独身寮だったという木造二階建ての家は、イメージ的には、「めぞん一刻」のような感じだった。4畳半一間の部屋が廊下を挟んで並んでおり、多い時には30人程が生活していた。学生は僕だけで、あとは働いていたり、高校を中退してやってきて、喫茶店でバイトをしていたり、芝居をしていたり、とにかくユニークな人々だった。

 そんな中に、同い年ですでに所帯を持って一児の父でもある、やっちゃんという男がいた。僕の部屋は2階で、やっちゃんと奥さんのめいちゃん、息子のりょーたは一階の二部屋を使っていた。

 やっちゃんたちの部屋には唯一テレビがあって、みんなが夕食後に集まってきた。(ちなみに僕の部屋は2階だったが、唯一こたつがあったので、冬場は僕がレポートを書いてる脇で、みんながぺちゃくちゃおしゃべりをしていた。)

 さて、そのやっちゃんだが、暴走族にいたこともあり、長髪に口ひげを生やして、ちょっと見には強面の人物に見えた。ヤクザに刃物を向けられても、相手を睨みつけてびくともしなかったと言う武勇伝を聞いたことがある。でもよくよく顔を見ると、じつは美男子で、目にはいつもいたづらっぽい光がちらちらひらめいていた。みんなやっちゃんが好きだった。

 そのやっちゃんが、納豆にたまごを入れたことがない、という話を何かの拍子にしたのだと思う。たぶんみんなでテレビを見ていた時じゃないかと思う。僕は納豆にはたまごを入れるものだといったことを力説したんだと思う。ただ、僕が何か言っても、みんなあんまり相手にしてくれなかった。僕らの仲間では、大学生というのは非常に中途半端な存在で、「中退してこそ一人前」という不文律ができあがっていた。だから、教師を目指して真面目に勉強なんかしているもののことばは、ほとんど説得力を持っていなかったのだった。

 ある朝、1時間目から大学に出かけるので早起きをした僕と、仕事に行くので起きてきたやっちゃんとが一緒になった。

 かつて独身寮だったこともあって、食堂兼ホールは10畳程の広さがあった。壁際に安っぽいソファーが置いてあるだけで、ホールはがらんとしていた。

 僕はちょうど納豆をかいている所だった。今こそやっちゃんに納豆たまごのおいしさを認識させるチャンスだ、と思った。

 僕が納豆たまごを食べるようにすすめると、やっちゃんは物珍しそうに僕の手元を眺めていた。

 壁に立てかけてあったちゃぶ台を置き、朝ご飯、といってもご飯と納豆たまごだけだが、それを準備して、二人だけで食事を始めた。

 ところがやっちゃんは、ご飯に納豆たまごをかけ、左手で器用に箸を使ってご飯をかき込んだが、顔をしかめ「あんまりうまくないな」と言った。

 そんなはずはない、と思って食べてみると、確かに上手くない。もしや、と思って調味料を確認しに、台所へ行った。そこには調味料一揃えが、お盆に載っている。自分が使った調味料を見たとたん、僕は自分の間違いに気がついた。

 「醤油とソースを間違えた…。」

 振り向くと、やっちゃんは黙々と納豆たまご(ソース味)ご飯をかき込んでいる。そして食べ終わると、「俺はやっぱり納豆だけの方が好きだな」と言った。

 醤油とソースを間違えたということは、とうとう言い出せなかった。やっちゃんが怒った時のこわさは、半端じゃなかったのだ。

 もう20年が経ったが、まだ、やっちゃんが納豆たまごはまずいものだと信じているとしたら、それは僕のせいである。