ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

ここ数日

先週の土曜日に、田浦に住んでいる母方の従兄が死んだ。58歳だった。

もうダメかもしれないということは聞いていて、夏休み中に亡くなったら、通夜だけでも帰って来れないか、と言われていた。

偉丈夫、という言葉がぴったりの男だった。

190センチの長身で、高校では柔道部、卒業の時には相撲部屋からスカウトが来た。

僕より16歳も年上だったから、物心ついた時には、もう伯父さんと一緒に畳屋の仕事をしていた。

そんな従兄が、酒に溺れてしまった。

母に言わせると「溜まる酒」だったという。発散せずに、どんどん溜め込んでいってしまう酒。

肝硬変で入院した時、奥さんも、子どもたちも世話を出来る状態になく、80を超した伯母が世話をしなくてはならず、母が代わりに病院に通って面倒を見ていた。

亡くなる数日前に、やっと家族が揃ったという。

あんなに快活だった従兄の家庭がバラバラになってしまった背景はよくわからない。

しかし、酒が従兄の寿命を縮めたのは確かだった。

火曜日が通夜だった。

追浜の斎場で通夜は行われた。

両親に妹、遅れて弟がやってきて、久しぶりに横須賀の家族が揃った。

母は五人兄妹の一番下だった。田浦の伯母は男の子が三人。世長浜の叔父の所は男二人、女二人の四人。身延の伯母の所は男の子が一人。東京の伯母の所はあまり行き来がないのでよくわからない。

従兄弟たちのうち、身延は仕事のため、通夜には出られず葬儀に出席、田浦の三男は名古屋在住だが、体調を崩していて欠席、米が浜は二男は10年前に死んでいるので奥さんが出席、次女は欠席だった。

喪主は田浦の次男。僕が中学の頃、東京水産大に通っていた。しゃべり方が僕とよく似ているという。三人の娘がいて、親子仲のいい様子が、長男の家と対照的だった。

通夜振る舞いの後、駅まで歩いた。母の肩を抱いて、ぽつりぽつりとしゃべりながら歩いた。

母の肩は、僕の腰の辺りの高さしかなく、丸くなった背中に否応なく母の老いを感ぜざるを得なかった。

日曜日に、16年飼っていた猫のミミが死んだという。

「○○が、人の代わりに、ミミを連れて行っちまった」と母が言った。

「私ももう72だ。おばあちゃんが逝ったのが78だから、あと6年だよ」

「大丈夫だよ、ちゃんと送ってあげるから」

「お前も、あと一つか二つ、仕事を減らしなよ」

ぽつりぽつりと話しながら、母の前ではどうしようもなく子どもである自分を感じていた。