ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

「百器徒然袋 風」京極夏彦

百器徒然袋 風

9月22日に京極夏彦の新刊「邪魅の雫」が出るというので、ものすごく楽しみにしていた訳ですが。

京極夏彦氏ご本人が、「そんな日程で出る訳ないっしょ」と。かなり怒っていられるようです。

週刊太極宮第218号

◆邪魅の雫の
 発売予定日が公表されたようですが、正直言って聞いてないです。びっくりです。

 鋭意進行中ではありますが、脱稿はしておりません。そんな日程ありえないということを一番承知しているのは、進行を管理してる編集部のはずなんですがねえ。

 昨日だって原稿渡してるじゃないの(笑)。それなのに22日発売って、どういうこと!! その日に発売ならもう終ってなきゃいかんでしょうに。


中略

 そもそも、書き上がっていないものの出版が決まっているのはおかしいと、それは再三申し上げているわけです。

 書き上がったのがもしどーしよーもない作品だったらどうするんでしょう? それでも売るのでしょうか? 書き上がって駄作だったらボツ、これが正しい姿勢です。

 もちろん、版元にも予定はあるでしょうから、ある程度の目安を立てておくことは必要なのでしょう。しかしどうであれ、まずは作品ありきでしょう。売るものがあって、初めていろいろ決まるもんだと思うのですが。

 書き下ろしなのに納得のいく作品を書かせてもらえないという状況も、やはりなんか間違ってるように思いますし。中味なんてどうでもいいから書きゃいいんだというような姿勢ね。

 原稿があがる前から発売日も、定価も決まってて、表紙までできてるというのはフシギですよ。定価が決まってるということは、書く前から枚数も決まってということで(笑)。やっぱりびつくりです。表紙の写真なんか、広告で初めて見ましたから。これまたびつくり。

 うーむ、だからこの一連のK談社の動きは、まあぼくに対する嫌がらせに違いないのですね(笑)。

 経過はどうであれ、発表された日に出なければ、全部ぼくの責任になるわけです。発表したもん勝ち。

 それよりなにより、こういうのは待っていてくださる読者の方々に失礼ですからね。もう、何回ぬか喜びさせたことか。ごめんなさいね。

 読者の方々を惑わせたり怒らせたりするのは忍びないですよ、実際。ほんとうに申しわけない。

 だからもろもろ確定するまで明言はしないでくださいと、もう何回お願いしたことか。それなのに何度テキトーな日程を公式発表したら気が済むんだ(笑)。

 と、何を言っても著者の言い訳になるという、そういう状況をつくるというのもまた嫌がらせなわけですね。それ以外に不可能とわかっている日にちを発表したりする意味はありませんからね。

 まったくもって嫌われたものです(笑)。

 ええ、正直にいって、まだ書いてますから。だからその日程では出ません。

 絶対に出ません。

 出たとしたら、校正もいいかげんで、途中で終わってるようなものでしょう。もしかしたらそれでもいいんだということですね? あ、途中でやめてもいいんだ、K談社さん。

憤懣やるかたなし、という感じですね。そうかあ、9月中には無理かあ。

でも、どうせ読むなら良い作品を読みたいですからねえ。無理してまた体調を崩されることなどないよう、お祈りします。

ということで、新刊が出るまで、前に出た作品を読み返して無聊を慰めている訳ですな。

「探偵小説」と銘打ったこのシリーズ、凡人本島君を語り手として、榎木津礼二郎の活躍を描いている訳ですが。

ここに出てくる京極堂は、何だか肩の力が抜けているみたいで、実に愛らしい(!)人物ですな。本編が劇画調だとすると、こっちの登場人物は、コメディタッチという感じ。

本島君の平々凡々っぷりも相変わらず冴えて(!)いて、うろうろ、ぼやぼやしている間に、どんどん話が進んでいき、最後に薔薇十字探偵が登場して大団円!というお決まりのパターン。

でも、このワンパターンが、水戸黄門のように痛快なんだよね。榎木津のようにあり得ない極端な人物が登場するのに、それなりに人間も書き込まれていて、そこがまた魅力なんだよな。

まあ、しばらくはこうやって、旧作を繰り返し繰り返し読んでいることにしましょう。