ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

「今昔続百鬼ー雲」京極夏彦

今昔続百鬼―雲

【多々良先生行状記】と副題にあるけれど、なるほど、これは「行状記」だった。

先日、通勤の電車の中での事だ。日頃の睡眠不足を補うべく、僕は冷房の効いた電車の中で惰眠をむさぼっていた訳だ。と、電車が駅に止まり、僕の隣に「どかっ!」と腰を下ろしてきたヤツがいた。もうとんでもなく乱暴な腰の下ろし方で、腰を下ろす拍子に、僕の右腕を、そのでかい尻でしたたかこすってくれた。腕が紙ヤスリでこすられたかと思ってビックリして目が覚めたくらいだ。

おまけに空いていた部分は、その男の巨躯には申し訳ない程度のすき間しかなかった。おかげで僕はいきなり右半身に巨大な湯たんぽを押し付けられたような状態に陥った。

とにかく、暑い。鬱陶しいのである。

電車に乗ろうと焦って走ってきたのではないだろうか。むんむんと蒸気を吹き出しているような感じなのだ。

おかげで今まで安らかに眠っていた僕まで、背中に汗が噴き出して、つーっと背筋を伝って落ちていくのがわかる程になってしまった。

「こいつ、多々良勝五郎じゃないのか」

そんな風にむっとさせるような傍若無人ぶりだった。

妖怪以外の事には無頓着、妖怪馬鹿の多々良センセイと沼上クンのコンビは、さながら京極版「弥次さん喜多さん」という趣だ。

この珍妙なコンビが繰り広げるドタバタが、いつの間にか訪れた村で起こった怪事件を解決することになってしまう。

多々良センセイには、事件を解決しよう何ていう気はさらさらない。ただ妖怪談義にふけって口角泡を飛ばしてそのムダとも思える膨大な知識をひけらかしている間に、事件が解決してしまうのだ。

「俺はその時、相当頭に来ていた」と沼上クンが述懐するのもむべなるかな、である。

こんなセンセイを買っている村木老人というのも、変人である。まともなのは、孫娘の富美ちゃんくらいか。まあ、この子も16歳にして古文書をすらすら読み解いてしまうという、ちょいと「京極堂」じみた一面は持っているのだが。

「冒険小説」と銘打ったこの一連の作品群も、探偵小説同様、肩の力が抜けていて、楽しんで書いているな、という雰囲気が伝わってくる。

息抜きにはいい作品だな。