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ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

「普通」

ことば

遅刻して来た生徒に遅刻の理由を聞こうとする。
「どうしたんだ?」
「遅刻しました」
「そんなことはわかっているよ。どうして遅刻したのかを聞いているんだ」
「普通に遅刻しました」
「普通じゃないから遅刻したのに、普通というのはおかしいだろう」

どうも、「普通」という言葉のニュアンスに、こちらとの真っ当なやり取りを拒否するような響きがあることがあって、その度に腹立たしくなる。

「普通の国」という表現にも、そんなニュアンスを感じることがある。
どこの国も軍隊を持っている。だから、我々も憲法を改正して軍隊を持った「普通の国」になるべきだ。云々。

しかし、人を殺す集団を持つことを是認することは「普通」なのだろうか。それは異常なのではないか。そしてそうした人殺しの手段を持つことを批判しようとすることに「異常だ」と糾弾するような響きを感じる。

そしてまた「普通の人」という表現をする人がいる。「私のような普通の人間の感覚からすると、それはどうも奇妙に感じるんですよ。」などと使う。

しかし、そうした発言をする人が、本当は専門家として、責任を持った立場で発言しなくてはいけなかったりするにも関わらず、そうした発言をして、しれっとしている。

責任放棄も甚だしく、こっちは腹が立ってくる。

よって、「普通」という表現はどうも好きになれない。