文学教材の精読主義を克服する、ということが90年代前半によく言われた。
克服はできたのだろうか。克服したとして、現在の文学教材の指導はどのようになっているのだろうか。
「克服」後に教師になった人々は「精読」はできるのだろうか。
1月21日追記。
「よく言われた」じゃないでしょ。自分で言っとるがな。
「授業づくりネットワーク」1995年10月号
特集「学習者の時代」の教育実践
「思考停止状態からの脱却をめざして◆ディベートに学ぶ◆」
って論文を書いとるがな。
思考停止状態からの脱却と精読主義の克服。私がディベートに学び、「学習者の時代」の実践として取り組みたいのはこの二点である。