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ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

「海猫街」劇団桟敷童子

劇評

いろんな人から「桟敷童子はすごいよ!」という話は伺っていた。去年は北区で、しかもテント公演ということで、見に行こうと思っていたら、いろいろあって見に行けなかった。

今回は絶対に見に行くぞ!という強い決意のもと、北とぴあ演劇祭でお世話になっている津田さんにチケットをおとり置きしておいてもらって出かけたのだった。

海猫街

時は日露戦争後。

その勝利で日本中が沸き立っていた。が、その陰で人々の生活は貧困を極めた。 断崖絶壁に囲まれた港、通称「海猫街」もその一つだ。

ある日、そんな海猫街に鯨で財をなした[玄海憂鯨社(げんかいゆうげいしゃ)]が視察に来るという。

玄海憂鯨社は日本政府の命令で、軍艦基地への輸送中継の港を探しており、候補の一つに海猫街があがったのだ。

輸送中継の港に選ばれれば、街に金が落ちてくる。 海猫街に住む嶽崎部の集落の人々は、盛大に玄海憂鯨社を招き入れる準備をする...

しかし、玄海憂鯨社の真の目的は、嶽崎部の祖先が海底に隠したと言われる財宝であった。

玄海憂鯨社の会長・千草は海底調査のため、卑しいと蔑まされている景浦部の海女達に近づいてゆく...

富、裏切り、そして愛...「海猫街」に住む人々の様々な人間模様を描く。

桟敷童子版「どん底」という感じだろうか。実際に劇中でも玄海憂鯨社の社員が「どん底」を嶽崎部の人に手渡すシーンが出て来ており、オマージュという側面があることを伺わせた。

いやあ、圧倒された。舞台装置の見事さ。照明の素晴らしさ。クライマックスの嵐のシーンは圧巻だった。なるほど、これが劇団員総出で舞台を動かすという奴か、と納得。

話自体もよく出来ていた。イサナという一人の海女が、差別される気の弱い女から、部落の守り神と崇められる闘士へと変貌していく。しかし、そんな彼女の行為は、日本が軍備増強、重工業重視へと向かっていくという大きな物語の流れの中では、愛する故郷を破壊し、自らが最も大切にしていた家族を失う結果を招いてしまう。

そして、海猫街を搾取しようとする玄海憂鯨社の思惑も、海猫街を守ろうとするイサナたちの願いも、嵐の猛威の前には粉砕され、海猫街は、海猫さえ寄り付かない廃墟と化してしまう。

それでも、「帰る」と約束をして海に身を投じた男を待ちつつ、老い衰えていくイサナたち。その姿はけなげで、しかし時代に取り残された悲惨さをにじませていた。

翻って、今炭坑が閉山し、「炭坑から観光へ」を標榜していた夕張は破綻した現代。格差社会と呼ばれ、一部の好景気は多くの人に実感できず、お互いの足の引っ張り合い、不祥事へのヒステリックな反応等々、日露戦争後の時代と共通する部分もたくさんある。

弱者と呼ばれる立場のものが、遮二無二努力しても、結局自分の首を絞める結果になるなんてことはそこら中にある。

成果主義を導入した職場では、返って思い切った冒険をして失敗をするリスクを恐れて、事なかれ主義が蔓延しているともいう。

抜け駆けして、あわよくばぬれ手に粟を願い、見てくればかりを気にし、ちょっとの失敗で意気消沈してあきらめてしまう。

なんだか、芝居を見た所から派生して、あれこれと考えさせられた。

今読みあさっている資料がちょうど時代的に同じ時期だったので、そんなところでもあれこれと考えた。

ちょっと雲がかかった14番目の月を見ながら、あれこれと考えた。