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東京都中学校合同演劇発表会2日目

中学の演劇は高校よりも顧問の方向性が出るんだなということを感じる。
いい悪いじゃなく、メッセージ性がより強い。今日もそれぞれにメッセージ性の高い4作品を観劇することができた。
「交番へ行こう」のハートウォーミングな内容、「空の村号」の社会性、甲乙付け難い。どちらも中学生が演じているという事実に、ただただ圧倒される。
指導されている方々の並々ならぬ力量を感じる。

今日も午後から観劇。
「交番へ行こう」南大谷中炎激部
中割り幕をしぼって交番のセットを上手に配置している。
こういうキャストが大人がメインのハートフルな芝居を中学生が演じ切ったことにまず驚いた。
会話劇として十分楽しんだ後、クライマックスの自転車の疾走シーン。斜幕に走り去っていく夜の映像を映し、パトカーが接近する所では針幕の裏で赤色灯を映し、ダンプカーを避けて飛び上がるシーンでは、豆球の光が針幕の裏で上から降りて来る演出で観客を大いに沸かせた。
交番の脇の壁が足つきのパネルになっていたのは、このシーンで後ろへ流れ去る物体を表すための計算に基づいていたんだ。動かす見えない人たちが街中の声も表現いていて見事。
恐らく20代の新前警官と、40代のベテランで、しかもちょっと人生を斜め上に生きてる巡査部長のコンビが、はっきりとしたコントラストを描いていて、安心して観ることができた。肩車した2人羽織(!)の超巨大老人とか、リハビリのため、杖をついて超高速で散歩する中年婦人とか、ありえないけれど、ま、いっかと思わせてしまう強引さが潔くて好感の持てる舞台だった。

「空色涙」あきるの市立秋多中学校
「自分だったらこう演出するなあ」ということが見ながらあれこれ湧いてくる作品だった。
肝臓移植のドナーを待っている主人公。
多分、娘の入院していた時のこととか、白血病で逝った教え子のこととか、父の癌が肝臓に転移してもうどうしようもなかったこととか、あまりにも病院というシチュエーションから溢れ出てくるものが多いからだろう。
この年まで生きていれば、何度か近しい人との別れを体験している。
そのことと作品世界とをどうしても結びつけてしまう。
だから一つ一つのアイコンを大切にしてほしい。
そこから流れ出てくるのは本当にそれなのか。

「ミッションE」東村山第二中学校
近未来の子どもが極端に減った世界。14才まではモニター越しでしか他者と関われなかった子どもが、コミュニーケーションキャンプで初めて同世代の子どもと生活をし、人間としてのつき合い方を学ぶ。しかも今年はそのキャンプに、ロボットが加わるという。
子どもたちのキャンプが下手側に、キャンプの様子をモニターする3人の研究者が上手側にいて、物語は進んでいく。
ロボットはいったい誰なのかという謎解きの面白さと、このキャンプを通して何が明らかになるのかというさらに大きな謎が知りたくて、物語の中にひき込まれていく。
誰も見たことがない「ゾウ」を作ろうというケイの提案が、研究者たちのシナリオを狂わせ、ロボットを機能停止に追い込む。
しかし、「ロボットでも友だち」というケイの言葉に、研究者たちも救われる。なぜなら、ケイ以外のすべての人が、実はロボットだったから。
「ロボットに学習能力を持たせた」という研究者の言葉は、自分について語ってもいたのかと思い至った。
しかし、「ミッションコンプリート。シャットダウン」と宣言してロボットがすべてシャットダウンしたのは確かに衝撃的なんだが、ケイがどうなってしまうのか、心配になる。
学習能力を身につけたロボットは、人間の想像力を手に入れることができるだろうか?
決してめでたしめでたしでは終わらず、観客に結末を委ねる終わり方だった。バン!と切ったのに、逆に余韻を感じた。
「空の村号」
宇宙戦艦ヤマト」をもうカラオケで歌うことはできない。というかしない。
震災をこれだけま正面から捉えた作品を私は知らない。
小学5年生の空が、ドキュメンタリーを撮影するアキラ監督に、自分はフィクションの映画を撮ると宣言し、友人2人と妹と放射能を撒き散らす悪ぃ役を倒す冒険映画を撮り始める。
それはまさに子どもの頃に誰もが経験した「ゴッコ遊び」だ。しかし、現実から逃避して、フィクションの世界に没頭しようとしても否応なしに現実が顔をのぞかせる。その姿はまた現実から目を背け遊興に現を抜かしている日本人批判でもある。辛い現実の中で信頼し合う村民たちが二分され対立し合う。村を愛するがゆえ、家族を愛するがゆえ、対立してしまう。それは夫婦の間でも…。
黒子が大量に働き回って、素舞台の舞台なのにそれぞれの場面がしっかりと目の前に浮かんでくる。ほとんど暗転を使わず、転換していく手法は見事だった。
エンディング近く、海からの風にこいのぼりが翻る。子どもが元気に育っていくことを願うこいのぼりが、放射性物質を大量に含んだ風によって翻るアイロニー。汚染されていない世界に、村ごと飛び上がって行けたらという幻想は、喪われた共同体への愛情と、そんなフィクションはありえないという絶望感とが示されていて、胸がしめつけられた。
緞帳が下りてきて閉まる直前、東京へ去る子ども二人を見送っていた母親が崩れ落ちるシーンが家族さえも引き裂かれていく現実のムゴさが現わされていた。
「東京へ行ったらもっと勉強する」
「自分がどこの出身かわかったら振られてしまうかもしれない。だから、一人でも生きていけるようにしないと」
小学4年生の女の子にこんなセリフをしゃべらせる現実が、今の日本にはある。
原発推進を遮二無二推し進めようという現政権への鋭い批判でもある。