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ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

『あゆみ』に対する勝手な妄想

都大会で観た田無第四中学校の『あゆみ』(柴幸男作)。素晴らしかった。
涙があふれて止まらなかった。
平凡な毎日へのいとおしさ。それを強く感じる芝居だった。

それだけに「平均からこぼれ落ちる者たち」を強く意識してしまった。
人が一生に歩む歩数。平均して何歩だったか、膨大な数が出てきた。

しかし、一歩も歩むことなく去っていく者もいる。
長寿を全うしないで、突然の事故や病気であゆみを止める者もいる。

結婚しない人も、あえて子供を産まない人もいる。
望んでも子供を授からない人もいる。

あゆみで描かれる女性の人生は、だから平均でも何でもなく、最大公約数でも何でもなく、じつはとても特殊な生涯なんじゃないか。

原発事故を体験してしまった今はとくにそう思う。

そんなことを考えていたら、改めてワイルダーの『わが町』の素晴らしさを痛感した。
一二幕のグローバーズコーナーの平凡な毎日の丁寧な描写と、三幕の死後の世界の対比。
人生半ばで生涯を終えざるを得なかった人々のつぶやき。

もしかしたら、柴さんは『あゆみ』では『わが町』を超えられないってことを痛感したんじゃなかろうか。
そんなことを妄想する。
で、『わが星』を書いたと。

『わが星』って、『わが町』へのオマージュだなあとずっと思ってたんだ。
今回『あゆみ』を見て、自分の中の妄想がカチリとはまった気がした。