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稲むらの火

 スマトラ島沖地震に関しては、15万人以上の死者が出て、あまりの災害の大きさに言葉もありません。沖縄方言の「ちむぐりさ(肝苦りさ)」(灰谷健次郎さんの著作の中で知った言葉です。相手の心が痛むくらい、こちらの心も痛むといった意味でしたっけ。相手と苦しみを分かち合うという心を表したすごい言葉だと思います。)ということばが辛うじてあてはまるかと思います。

 津波の被害に関して、こんな記事がありました。

水引いたら逃げろ…古い言い伝えが島民を救う

 【ジャカルタ3日=時事】古い言い伝え、島民救う−。インドネシアのスマトラ島沖地震で震源からわずか60キロに位置する同国シムル島では、住民約6万5000人のうち津波による死者は、3日までに6人にとどまっている。1907年に大津波を体験し、「海水が引いたら高台に逃げろ」という教訓が伝統的な教えとして住民の間に語り継がれていたからだという。

 島民のユスマンさんは地元メディアに対し、「海水が引いたら次には必ず大きな波が来る、という教えが昔からある。これをわれわれは『スモン』と呼んでいる」と話した。住民らはこの言い伝えに従い、水が引いたとき、すぐに丘へ避難したという。

 一方、シムル島の東南に位置し、震源から140キロ離れたニアス島の住民の多くは、海水が引いた時、海岸に残った魚を獲ることに夢中になったため、227人が死亡した。

ZAKZAK 2005/01/04

 この件に関して、以前仮説実験の大家、板倉聖宣さんから伺った話を思い出しました。奥尻島が津波の被害で死者が出たことがありましたよね。読み研の冬の研究会に講師で来ていただいた時に、「戦前の教育ならこうした被害は起こらなかった」というけっこう刺激的な話がでました。そこで初めて戦前の国語教科書に載っていた、津波から村人を救った村長の話というのを知りました。

ググってみたらちゃんと資料室までありました。原作はラフカディオ・ハーン小泉八雲ですね。実話に基づいてハーンが「A LIVING GOD」という文章にまとめ、それを読んだ 中井常蔵という小学校の教師が、子ども向けに書き直したということです。

稲むらの火資料室

 「小学国語読本 巻十」に、昭和12年から22年まで掲載されていた作品ということです。上記資料室では教科書がそのまま読めるようになってます。

 ふるい言い伝えによって救われたシムル島の皆さん。翻って、現在の我々日本人に、「海水が引いたら高台に逃げろ」という知識はどの程度身に付いているでしょうか。

 「教育は後退することがある。」という板倉さんの言葉を思い出したニュースでした。