ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

修学旅行4日目

 6時起床。6時半から礼拝、朝食。部屋に戻ってテレビをつけると、平戸の雛人形のことを特集している。そうそう、56回生と平戸へ行った時は、町中のお店に、雛人形が飾られていたっけ。関パーなホテルも、雛人形を飾っている。

 今日の午前中は、福江島コース別見学。事前に希望を取っておいたコースにしたがって、島内を回る。


  • 大瀬崎灯台と野生の鹿
  • 富江サイクリングと塩作り見学
  • 外国からの漂着ゴミと荒川温泉
  • サンゴ加工と塩作り見学
  • 堂崎天主堂とグラスボート
  • 船で行く堂崎天主堂と奈留島
  • 草木染め

 僕は8人の生徒と3コースに行く。外国からの漂着ゴミというのが、「海岸掃除のボランティアをする」ということだと勘違いした人がいたらしく、人数はコース中最小人数。おかげでバスの座席がガラガラなので、横になって寝て目的地まで行った生徒が半数。

 昨日も行った三井楽の遣唐使ふるさと館で、三井楽町役場の吉田さんと合流し、柏崎へ。ここはかつて遣唐使船の港があった場所だ。

 曇り空で渺々と風が吹く中、溶岩によってできた黒い岩が転がる海岸線を歩く。発泡スチロールのゴミが圧倒的に多い。漁網の浮きに使われていたものだ。町では年に数回清掃ボランティアを組織して、海岸線の清掃を行うのだそうだが、すべて町の負担になっており、それがバカにならない金額だと言う。この時期には漂着するに任せた状態なので、かなりゴミが多いと言う。たしかにすごいゴミ。

 発泡スチロールに混じって、ペットボトルなどもけっこう漂着している。中国語やハングルで書かれたものがけっこうある。

 生徒が「死体は漂着しないんですか」と質問した所、「ごくまれにですが、漂着することあります」という返事だったので、びっくり。

 損傷が激しい場合が多いので、身元がわからず、町で荼毘にふして無縁仏としてしょりするのだそうだ。また漂着した時は町が、海に浮かんでいる場合は海上保安庁が遺体を回収するのだそうだ。

 30分程ゴミを見て回る。その後、バスに乗って荒川温泉へ。

 B'zの稲葉さんも奥さんと何度か来たことがあると言う。ここへ来て、何をするのかというと、吹きさらしで冷えた体を、温泉で温めようという訳です。

 豆屋旅館という所に行く。入り口に「公衆浴場」と書いてある。つまり、温泉を利用した銭湯ですな。入り口左手に男風呂がある。ガラス張りで、中が丸見え。おじさんがこっち向きで、ゾウのようなお尻を見せている。

 豆屋旅館は道を隔てて目の前が港になっていて、漁船が何隻も停泊している。ちょうど漁から帰ってきた漁師さんが、温泉に入りにきていた。「天王丸」なんて書かれた洗面器を持って入ってきている。脱衣所のロッカーの上には、そんな風に漁船の名前が書かれた洗面器が並んでいる。

 僕はタオルと石鹸を借りて、浴場に置いてある「ケロリン」の黄色い洗面器を使った。すごく懐かしい。生まれて家を離れるまで21年間、銭湯通いを続けていたからなあ。

 1時間程時間があったので、まあ、30分は入っていようと考えた。源泉は62度ということだったが、広い大浴場で浸かってみると、そんなに熱くはない。常時8人くらいの人が入っているが、2メートルも離れると、湯気で顔が全然見えない。

 体を洗って、最初は腰まで浸かる。それから首まで浸かる。のびのびと体を伸ばせる幸せ。

 後から入ってくる人が出るまで頑張ろう、なんて勝手に勝負をして、相手が先に出て行くと、「勝った」と一人悦に入っている。

 ところが、一度上がって、もう一度浸かった時、見事な禿頭のおじいさんが入ってきたのだが、この人がなかなか出ない。こっちも頑張って10分は浸かっていたのだが、全然出る気配がない。

 残念ながら、こっちが先に音を上げてしまった。一勝一敗だ。

 あがって、用意しておいてもらった広間でお茶を飲んだりしてのんびりする。母方の実家が、山梨の下部温泉の近くで、おにぎりなんかを持ってこうした温泉へ浸かりに行った。入っては出て、おにぎりを食べ、また入って、といったことを繰り返していたと思う。

 ただ、あそこは硫黄泉で、小学校の頃胃腸の弱かった僕は、あのにおいが気持ち悪くて、なかなか慣れなかった。おまけに混浴だったので、余計に高学年になってからは敬遠していた。

 まあ、そんなことを思い出しながら、しばらくぼーっとしていた。
生徒達はアイスを食べたりしていた。駄菓子屋で買ったのだそうだが、そこのおばあちゃんがいい人だったと喜んでいた。

 帰りのバスの中は、すっかりお休みモード。バスガイドさんも地元の子守唄を歌ってくれた。

 カンパーナホテルに戻り、昼食。五島牛カレー。こういう長い旅行をしていると、途中で無償にカレーが食べたくなるのは何故なのだろう。

 辛めのルーだったが、ルーより牛肉の方が多いのではないかというくらいのボリュームがあった。

 1時半にフェリーで福江島を離れる。カンパーナホテルと、久賀島を案内して下さった樋口さん達が見送って下さる。昔、船旅に出る人々が、見送りの人達と紙テープをお互いに手にして別れを惜しむというシーンを映画などで見たことがある。今回、その別れのセレモニーを初めて体験した。いやあ、感動した。テープを手にした生徒達は、思わず涙ぐんでいた。2日間、本当にお世話になりました。

 出航後、奥まった所で、演劇部を集めて送別会の劇の稽古。キャストのいない所は、T中さんや僕が分担したが、もう一人の役を松ノ井先生が分担してくれた。一通り読み終えた後、「僕、感動しました」と感想を述べてくれた。

 キャストがいないので、その後は抜き稽古で、できるところを詰めて行った。一通り確認をして、あとはウノ大会。4時間の船旅はこうして過ぎて行った。

 長崎港に着くと、小雨が降っている。バスでホテルへ。一休みして、6時45分から夕食。その後、松尾幸子さんに被爆体験を伺う。
56回生の時にもお話を伺ったが、本当に凄絶なお話だ。今回は60分たっぷりお話ししていただいた。松尾さんが語り部になったのは、戦後52年が経過したとき。弟さんがガンになり、その原因が52年前の被爆にあると知らされた時だった。それまでは、文章は書いても、語りについては、「誰かがやってくれるだろう」という考えだったという。ところが、52年も経った時に、自分と同じように被爆した弟が、その影響でガンになったことで、これは他人任せにすることはできない、このことを語り伝えて行かなくてはいけないと決意されたという。

 こうした思いを生徒達はそれぞれに、受け止めてくれたと思う。