ディベート×演劇

「子どもらが 自分の場だと 思う所に 花が咲く」(徳村彰)を、学校現場で目指します。

クワイ河収容所の奇跡

8月は戦争と平和について考える月だ。うちの教会では、第3日曜日の午後に戦争に関わる映画を観ることにしている。今年は第3週に韓国からお客さんが来ていたので、第4週に見ることになった。

クワイ河収容所の奇跡

「戦場に架ける橋」は僕の好きな映画の一つだけれど、こちらの収容所の物語は、取り立ててヒーローはいない。泰緬鉄道敷設の強制労働の中で、イギリス人捕虜たちは、人間性を失い、お互いにいがみ合い、絶望の中でただ生きるだけの毎日を過ごしていく。

将来は教師になろうと考えていたアーネスト・ゴードンも、熱帯の風土病にかかり、死の家と呼ばれる家に放置され、死を待つだけの状態にまで陥る。

しかし、一人のクリスチャンの捕虜に命を救われ、徐々に人間性を回復していく。やがて収容所の中でわずかに手に入れた本をもとに大学を開設する。死体置き場で始まったそのささやかな営みは、希望を失っていた捕虜たちを少しずつ変えていく。

鉄道完成後、スコップが紛失するという事件が起こる。連帯責任で全員が処刑されるという事態になったとき、最もエゴイスティックに生きてきたアメリカ人の捕虜が、紛失の罪を引き受け、めった打ちのリンチを受ける。実は紛失は単純な数え間違いだったのだが、エゴイストの彼をそこまで変えていったものは何だったのか。

もう一つ、感動的なエピソードがあるのだけれど、それは観て下さい。

戦局が代わり、収容所も爆撃を受けるようになったとき、他の収容所から逃げてきた負傷した日本兵たちを、彼らは憎悪を超えて介抱する。

一人のクリスチャンのささやかな行動が、収容所全体に広がり、極限状況の中で、無私の愛を行う集団へと変化させていく。

日本軍による捕虜虐待の凄まじさが、人間の暗部の深さを示す程、捕虜たちの中に生まれた人間の崇高さの輝きも増す。

人間の命が羽毛よりも軽いと見なされるような戦争の中で、人間の尊厳を回復させた「奇跡」はどこにあったのか。

映画は最後に、アーネスト・ゴードンと、捕虜たちの通訳をしていた永瀬軍曹との再会のシーンを紹介している。アーネストは、大学教会の牧師として、後の人生を歩むことになった。

「ゆるし」「和解」と口で言うのは簡単だが、それを可能にしたものは、無実のまま全ての人間の罪をあがなうために十字架にかかったイエス・キリストの姿だった。